ホーム 芸能人プロフィール・現在 元皇族・近衞甯子さんの現在と皇室時代の歩み、ご家族に関する情報を徹底解説

元皇族・近衞甯子さんの現在と皇室時代の歩み、ご家族に関する情報を徹底解説

早瀬 結衣 早瀬 結衣 • 更新: • 公開: • 読了約 8 分
目次

2026年現在、皇室の歴史やご家族の足跡に関心を寄せる人々が増加する中、三笠宮家の第一王女として誕生し、のちに民間へと歩みを進められた元皇族・近衞甯子(このえ やすこ)さんの生き方に再び温かい視線が注がれています。戦中・戦後の激動の時代を皇族として過ごし、学習院での学びを経て日本赤十字社社長を務めた近衞忠煇氏とご結婚されてからは、公私のバランスを保ちながら社会貢献や皇室との絆を大切にしてこられました。

本記事では、公式百科事典や報道各社の記録に基づき、近衞甯子さんの誕生から皇室時代のエピソード、ご結婚による皇籍離脱、そして現在に至るまでの歩みを詳しく紐解いていきます。

【この記事の重要ポイントまとめ】
  • 要点1:三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第1王女として1944年に誕生し、幼少期は貞明皇后から特に可愛がられた。
  • 要点2:学習院大学在学中の1966年に日本赤十字社職員であった近衞忠煇氏と結婚し、皇籍を離脱して民間人となった。
  • 要点3:日本赤十字社副総裁や学習院女子部同窓会の常磐会会長を歴任するなど、長年にわたり社会および教育・同窓組織の発展に尽力した。

近衞甯子さんのプロフィールと誕生から皇室時代の歩み

近衞甯子

近衞甯子さんは1944年(昭和19年)4月26日、三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第1王女としてお生まれになりました。皇籍離脱前の身位は内親王であり、皇室典範における敬称は殿下、お印は樟(くすのき)でした。上皇明仁上皇陛下は従兄にあたり、今上天皇徳仁陛下は従甥にあたるという血縁をお持ちです。また、弟君には故・寬仁親王殿下、故・桂宮宜仁親王殿下、故・高円宮憲仁親王殿下がいらっしゃり、妹君には千容子さんがいらっしゃいます。

幼少期に関しては、大正天皇の皇后である貞明皇后を「おばばさま」と慕い、孫の中でも格別の慈愛を受けられたという温かいエピソードが伝えられています。大宮御所をたびたび訪問し、一緒に羽根つきやままごと遊びに興じられるなど、戦中・戦後の慌ただしい時代にあっても、深い愛情に包まれて育まれました。

学習院での学びと日本赤十字社社長・近衞忠煇氏とのご結婚

学業においては、聖心女子学院幼稚園(現在は廃園)を経て、学習院初等科、学習院女子中等科、同女子高等科へ進学。その後、学習院大学文学部イギリス文学科に入学されました。学習院初等科時代には、のちの各界で活躍する多くの学友たちと共に机を並べています。

大きな人生の転機となったのは、学習院大学在学中の1966年(昭和41年)12月18日です。当時、日本赤十字社職員であった近衞忠煇氏とご結婚され、皇室典範の規定により皇籍を離脱して民間人となられました。ご結婚後も大学を無事に卒業され、一人の女性、そして家庭人として新しい道を歩み始めました。

年表・経歴まとめ:近衞甯子さんの歩んだ主な軌跡

ここまでの主要な経緯や役職をわかりやすくテーブル形式で整理します。

時期 出来事・身位 備考・主な実績
1944年4月26日 誕生 三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第1王女(旧名:甯子内親王)
1966年12月18日 結婚・皇籍離脱 近衞忠煇氏(日本赤十字社元社長)とご結婚
1998年 名誉村長就任 長野オリンピック選手村名誉村長を務める
役職歴 公的・社会的活動 日本赤十字社副総裁、学習院女子部同窓会「常磐会」会長などを歴任

ご家族の背景と華やかな親族ネットワーク

近衞甯子さんのご家族や親族のネットワークは非常に広範であり、日本の歴史や社会の各分野と深く結びついています。夫である近衞忠煇氏は、日本赤十字社社長、国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)会長などを歴任し、国内外の人道支援活動に多大な足跡を残しました(忠煇氏は2026年5月にご逝去)。

また、夫の実兄である細川護熙氏は内閣総理大臣を務め、長弟である故・寬仁親王の妃である信子さまは内閣総理大臣経験者の麻生太郎氏の妹にあたります。加えて、末妹である千容子さんは茶道裏千家宗家16世千宗室氏の妻であるなど、皇室と各界の要人をつなぐ中心的な役割を担ってきた家系と言えます。

社会貢献活動と常磐会会長としての実績

皇族としての立場を離れた後も、近衞甯子さんは公的な意識を高く持ち続け、さまざまな分野で社会に貢献されてきました。その代表的な活動の一つが、日本赤十字社副総裁としての活動です。夫である忠煇氏が日赤の舵取りを支える中、甯子さん自身も人道支援の現場や組織の発展を陰で支え続けました。

加えて、母校である学習院の女子部同窓会である「常磐会」の会長としても長年にわたり手腕を発揮されました。後進の育成や同窓生の絆を深める活動に尽力され、2021年(令和3年)5月に竹田恭子氏に引き継ぐまで、組織の発展に大きく貢献されました。また、1998年(平成10年)に開催された長野オリンピックでは選手村の名誉村長を務めるなど、文化的・国際的な舞台でも重要な役割を果たしています。

【近衞甯子】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:近衞甯子さんの現在の身分や立場はどうなっていますか?
A1:1966年のご結婚により皇籍を離脱され、現在は民間人として穏やかな生活を送られていらっしゃいます。長年務められた学習院女子部同窓会「常磐会」の会長職は2021年5月に退任されています。

Q2:夫である近衞忠煇氏との間にはどのようなエピソードがありますか?
A2:忠煇氏は日本赤十字社社長や国際赤十字・赤新月社連盟会長などを歴任した人物であり、甯子さんは日本赤十字社副総裁を務めるなど、夫婦揃って人道支援や社会貢献の分野で深く結びついて活動されてきました。

Q3:ご兄弟や親族にはどのような方々がいらっしゃいますか?
A3:弟君に故・寬仁親王殿下、故・桂宮宜仁親王殿下、故・高円宮憲仁親王殿下、妹君に千容子さんがいらっしゃいます。また、親族には細川護熙元首相や麻生太郎氏など、政治や文化の各界で著名な方々が名を連ねています。

まとめ:皇室の伝統を受け継ぎ、民間から社会を支えた歩み

三笠宮家の第一王女として生まれ、幼少期には貞明皇后の深い愛情を受けて育った近衞甯子さん。学習院での学びを経て近衞忠煇氏と結ばれ、皇籍を離脱された後も、日本赤十字社副総裁や常磐会会長といった要職を通じて社会に尽くし続けてこられました。

激動の昭和から平成、令和へと移り変わる時代の中で、常に公私の調和を保ちながら品位ある生き方を貫いてきたその足跡は、現代においても多くの人々に静かな敬意と共感を呼び起こしています。今後もその優しく気品に満ちた生き方は、日本の皇室史および社会貢献の歴史において色褪せることなく語り継がれていくことでしょう。

同じカテゴリの記事

早瀬 結衣
コンテンツディレクター 早瀬 結衣
プロフィールを見る →

全記事の校正と事実確認を担当。固有名詞・日付・数値を公式発表と照合し、確認できない箇所は公開前に差し戻す運用をしています。

おすすめの関連記事