大相撲の歴史において、モンゴル出身力士の先駆者として土俵を大いに沸かせた元関脇・朝赤龍(あさせきりゅう)。本名をバダルチ・ダシニャムといい、ウランバートル市出身の彼は、同郷の兄弟子である朝青龍らとともに日本へ渡り、昭和から平成、そして現代へと続く大相撲の国際化を支えた立役者の一人です。
2026年現在、現役引退後は年寄・高砂として高砂部屋を率い、次世代の力士たちの育成に全力を注いでいます。本記事では、朝赤龍の現役時代の輝かしい実績や最高位の軌跡、モンゴル出身力士としての歩み、そして現在は高砂部屋の年寄として後進の指導にあたる最新の動向まで詳しく紹介します。
【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:最高位は西関脇(2007年9月・11月場所)。長きにわたり幕内の第一線で活躍し、生涯戦歴は687勝を記録。
- 要点2:明徳義塾高校へ留学後に若松部屋(当時)へ入門し、ブフの血筋を引く卓越した技術で右四つや寄り・投げを武器に台頭した。
- 要点3:現在は年寄・高砂として高砂部屋の師匠を務め、豊富な経験を次世代の力士たちへ熱心に継承している。
朝赤龍のルーツと来日:モンゴル相撲の血筋から明徳義塾、そして角界へ

朝赤龍太郎は1981年8月7日にモンゴル国ウランバートル市で生まれました。実父はモンゴル相撲であるブフのナチン(小結)という格闘技一家に育ち、幼少期から卓越した運動神経を発揮していました。6歳から12歳までナーダムの競馬大会に出場し、子供には難しいとされる高度な調教技術を会得したというユニークな経歴を持っています。
転機となったのは、モンゴル出身の仲間とともに高知県の明徳義塾高等学校への留学を果たしたことです。同じく同校で相撲に打ち込んだ朝青龍とともに来日し、日本の高校相撲で頭角を現しました。公式百科事典や報道によると、初来日である1997年9月6日の移動で初めて飛行機に搭乗した際、「2人とも窓側に座りたかったから、最初は30分ごとに座席を交代していた。そのうちに海が見えてきたら、どっちも『もっと見たい』と思って5分とか10分ごとに座席を替えていましたよ」という、のちの大横綱と苦楽を共にした微笑ましいエピソードも引退後に明かされています。
高校卒業時は大学進学か相撲部屋入門かで迷いが生じましたが、先に角界へ進んでいた朝青龍と同じ若松部屋(当時、のちに高砂部屋へ合併)への入門を決意し、2000年1月場所で初土俵を踏みました。
最高位・関脇への軌跡と現役時代の輝かしい実績
入門後は持ち前のスピードと抜群の相撲センスを武器に着実に番付を駆け上がり、幕内上位の常連として長きにわたり土俵を賑わせました。得意手は右四つ、寄り、そして鋭い投げ技であり、体格に勝る巨漢力士を翻弄するダイナミックな相撲で多くのファンを魅了しました。
生涯戦歴は687勝679敗36休という堂々たる数字を残しており、最高位は西関脇(2007年9月場所および2007年11月場所)を記録しています。三役に定着してからも大物食いを果たすなど、土俵の求道者として強烈な存在感を放ち続けました。
元関脇・朝赤龍の主な経歴とプロフィール
| 項目 | 詳細データ |
|---|---|
| 四股名 | 朝赤龍 太郎(あさせきりゅう たろう) |
| 本名 | バダルチ・ダシニャム(Badarch Dashnyam) |
| 生年月日・出身地 | 1981年8月7日・モンゴル国ウランバートル市 |
| 所属部屋 | 若松部屋 → 高砂部屋 |
| 最高位 | 西関脇(2007年9月場所、11月場所) |
| 生涯戦歴 | 687勝679敗36休 |
| 現在の役職 | 日本相撲協会 年寄・高砂(高砂部屋師匠) |
引退相撲と家族の絆:土俵を去る日の感動的なエピソード
現役生活に幕を下ろした朝赤龍は、2018年2月4日に両国国技館で盛大な引退相撲を行いました。長年支えてくれたファンや関係者への感謝を形にする温かい門出となりました。
この日の断髪式前に行われた余興の「朝赤龍最後の土俵入り」では、当時4歳だった長男と一緒に土俵入りを行う予定が組まれていました。しかし、直前になって長男が緊張や雰囲気から泣いて嫌がってしまったため、父親として一人の力士として、最後は1人で気丈に土俵入りを完遂しました。また、長女からの花束贈呈の際には感謝の手紙が読み上げられるなど、家族の温かい支えがファンの涙を誘いました。断髪式では約250人の関係者がにはさみが入れられ、最後の止め鋏は師匠である高砂親方が入れ、現役時代に幕を下ろしました。
現在は高砂部屋の年寄として後進の指導に奔走する最新動向
現役引退後は日本相撲協会の年寄名跡「高砂」を継承し、現在は高砂部屋の師匠として後進の指導にあたっています。かつて自身が歩んできた、外国出身力士として日本で相撲道に打ち込む厳しさや、番付を上げるための技術的・精神的なノウハウは、現代の若い力士たちにとって何ものにも代えがたい財産となっています。
部屋の師匠として、日々の稽古場に立ち、厳しくも愛情を持った指導で新たなスター候補の育成に尽力しています。モンゴル出身力士のパイオニアの一人として培った国際的な視野と、日本相撲の伝統を重んじる姿勢は、角界の次世代を担う指導者として各方面から高い評価を受けています。
【朝赤龍】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:朝赤龍の最高位は何ですか?
A1:最高位は西関脇で、2007年9月場所と同年11月場所の2場所にわたって務めました。
Q2:朝赤龍の現在の活動は何ですか?
A2:日本相撲協会の年寄・高砂として高砂部屋の師匠を務め、後進の力士たちの指導・育成にあたっています。
Q3:朝赤龍の出身地や本名は何ですか?
A3:モンゴル国ウランバートル市出身で、本名はバダルチ・ダシニャム(Badarch Dashnyam)です。
まとめ:今後の動向と高砂部屋の未来
モンゴルのウランバートルから日本の土俵へ飛び込み、数々の激闘を繰り広げた元関脇・朝赤龍。現役時代に残した通算687勝という輝かしい実績や、三役としての誇り高い土俵は、今なお多くの相撲ファンの記憶に深く刻まれています。
現在は高砂部屋の師匠として、かつて自分が先輩たちから受け継いだ相撲道と礼儀を、現代の若者たちへ熱く伝えています。年寄・高砂として日本相撲界の発展を支え続けるその歩みから、今後も目が離せません。