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中核派と革マル派の違いとは?分裂の真相と内ゲバの歴史から2026年現在の活動実態まで徹底解説

白石 澪 白石 澪 • 更新: • 公開: • 読了約 12 分
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ニュースや歴史の解説で頻繁に並べて語られる「中核派」と「革マル派」。日本の新左翼運動を象徴するこの2大党派は、名称こそ似通っているものの、その思想、組織方針、そして辿った運命は大きく異なります。かつて街頭や大学キャンパスで激しい衝突を繰り返した時代を知る世代にとっても、近年の報道を通じてその名を目にする若い世代にとっても、「なぜ同じ母体から分かれた組織が命を奪い合うほどの凄惨な抗争に至ったのか」という疑問は尽きません。

ジャーナリストの立花隆がかつて週刊誌連載や名著『中核vs革マル』で緻密に暴き出した両者の敵対構造は、半世紀を経た今も日本政治・社会運動の暗部として刻まれています。2026年現在、世代交代や社会環境の変化によって表面的な街頭行動の形は変わりつつあるものの、公安当局による監視体制は継続しており、その本質的な違いや過去の経緯を理解することは現代史の解像度を上げるうえで欠かせません。

【この記事の重要ポイントまとめ】
  • 要点1:中核派と革マル派は「革命的共産主義者同盟(革共同)」という同一組織から1963年に分裂した兄弟組織である。
  • 要点2:大衆行動と武装闘争を前面に掲げた中核派に対し、理論構築と思想闘争・組織防衛を最優先した革マル派という路線の根本的乖離が凄惨な内ゲバ(党派間抗争)を招いた。
  • 要点3:2026年現在も東京都内などに活動拠点を構え、YouTubeやSNS発信を取り入れる中核派と、理論学習や労組介入を軸とする革マル派という対照的な活動実態が続いている。

【起源の真相】元は同じ組織「革共同」からの分裂剧

革マル派中核派違い

中核派と革マル派の決定的な違いを理解するためには、まず両者が完全に同一の政治結社から生まれたという原点を知る必要があります。1950年代、日本共産党の武装闘争路線放棄やソビエト連邦によるハンガリー動乱鎮圧などを契機に、既存の共産党に反発する若者や知識人たちによって「日本の新左翼運動」が胎動しました。その中核を担ったのが、1957年に結成された革命的共産主義者同盟(革共同)です。

革共同は、反スターリン主義とトロツキズムの旗印のもとで結集しましたが、指導部内での運動方針や世界情勢の解釈を巡って内部対立が絶えませんでした。理論的指導者であった黒田寛一を中心とする潮流と、実践的な学生・労働運動の指導に長けた本多延嘉らを中心とする実力闘争派との間に深い溝が生まれます。そして1963年、指導路線を巡る致命的な路線対立の末、組織は決定的な分裂を迎えました。

黒田寛一を支持したグループは「革命的マルクス主義派(革マル派)」を立ち上げ、本多延嘉を中心とする全国委員会側は「革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)」へと分かれていきました。名称こそ「派」として区別されますが、両者は互いに自らこそが革共同の正統な後継者であると主張し、現在に至るまで敵対関係を固定化させることになります。

【思想と路線の決定打】武闘派の中核派と理論偏重の革マル派

組織分裂の背景には、運動の進め方に関する根本的な思想差が存在していました。この差異こそが、のちに双方の行動様式を決定づける要因となります。

中核派(正式名称:革命的共産主義者同盟全国委員会)は、「街頭武装闘争」や「大衆的実力闘争」を徹底的に重視しました。大学構内の封鎖や路上での火炎瓶投擲、成田空港建設反対を巡る三里塚闘争など、国家権力に対する直接的な武力対決と大衆の蜂起を革命への唯一の道道と位置づけたのです。実践躬行を至上命題とし、ヘルメットに角材(ゲバ棒)を握りしめて機動隊と激突する前線部隊の姿は、当時の新左翼の代表的なイメージとなりました。

これに対し、革マル派(正式名称:日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)は、黒田寛一が唱えた「組織現実論」や「反スターリン主義」の哲学的深化を極端に重視しました。国家権力との全面対決で組織をすり減らすことを厳しく戒め、まずは強固な党組織を地下深く建設し、大学自治会や有力な労働組合(特に旧国鉄系など)の中枢に深く浸透して組織を握ることを最優先課題としたのです。これを他派からは「日和見主義」「組織温存主義」と厳しく糾弾されることになりましたが、徹底した秘密主義と防衛力強化を図るのが革マル派の鉄則でした。

【徹底比較】中核派・革マル派・赤軍派の主要ファクト一覧

新左翼各派の立ち位置を客観的に整理するため、中核派、革マル派、そして過激な国際テロ路線へと進んだ赤軍派の主要な比較を以下の表にまとめます。

比較項目 中核派(全国委員会) 革マル派(革命的マルクス主義派) 赤軍派(共産同赤軍派)
創設指導者 本多延嘉 黒田寛一 塩見孝也
基本路線 街頭武装闘争・大衆実力行使 組織温存・思想学習・主要労組潜入 世界同時革命・前哨殲滅戦・国際根拠地論
シンボルカラー 白ヘルメットに「中核」の黒文字 白ヘルメットに「革マル」の赤文字 赤ヘルメットに「赤軍」の白文字
主な活動舞台 三里塚闘争、法政大、国鉄千葉動労 早稲田大、旧国鉄(現JR系)労組 大菩薩峠事件、よど号ハイジャック、日本赤軍
現代の活動動向 動画配信活用、街頭集会、公開拠点運営 秘密主義維持、機関紙学習、潜入活動継続 組織としては事実上壊滅・解散状態

赤軍派は1969年に共産主義者同盟(ブント)から分裂して生まれ、前哨基地論を掲げて銃撃戦や海外亡命(よど号ハイジャック事件)、果ては日本赤軍や連合赤軍による山岳ベース事件へと暴走していきました。これに対し、中核派と革マル派はあくまで国内の労働運動や政治闘争を主戦場とし、互いを「最大の打倒対象」と見なしながら凄惨な内戦へと突入していった点に大きな特異性があります。

【内ゲバの地獄】立花隆が追及した流血の真相と報復の連鎖

1970年代に入ると、両派の対立は単なる口論や機関紙上での批判合戦を超え、物理的に相手の命を奪い合う内ゲバ(党派内暴力抗争)へとエスカレートしました。

発端となったのは、大学キャンパスの主導権争いや労働組合内での主導権争いです。革マル派による他党派への凄惨な襲撃や暗殺、それに対する中核派の徹底報復が全国で繰り返されました。街中での白昼堂々の襲撃、鉄パイプやバールを用いた襲撃事件が日常化し、数十名にのぼる活動家や無関係の一般人が命を落とす事態となりました。

この泥沼の闘争を克明に記録し、日本社会に衝撃を与えたのが、ジャーナリストの立花隆が1974年から1975年にかけて講談社『月刊現代』に連載したルポルタージュ『中核vs革マル』です。立花は中核派最高幹部であった書記長・本多延嘉への単独インタビューをはじめ、双方の関係者への綿密な取材を通じて、互いを「反革命」「階級の敵」と呼び合って殺戮を正当化する論理の狂気と組織の暗部を白日のもとに晒しました。

しかし、この連載が出版された1975年3月、事態は最悪の結末を迎えます。中核派の最高指導者であった本多延嘉が、埼玉県川口市のアパートに潜伏中、革マル派の襲撃部隊によって殺害されたのです。この指導者暗殺により、中核派による血の報復宣言が下され、凄惨なテロ・ゲリラ戦の連鎖は1980年代以降も長く続くこととなりました。

【2026年現在の活動実態】拠点の今と公安当局の監視

冷戦の終結、活動家の高齢化、そして社会全体の関心の薄れとともに、往時の激しい武力衝突は沈静化しました。しかし、2026年現在も両組織は消滅したわけではなく、それぞれ異なる手法で活動を維持しています。

中核派は、東京都江戸川区に構える活動拠点「前進社」を中心に活動を継続しています。近年では若手活動家を前面に押し出し、公式YouTubeチャンネルでの動画配信やSNSを通じた情報発信を積極的に展開。反戦デモや労働運動、環境・社会問題に敏感な若年層の取り込みを図るオープンな広報戦略を見せています。しかし公安調査庁や警察庁などの治安当局は、過去の非公然軍事組織の存在や危険性を重く見ており、依然として極左暴力集団としての厳格な査察や強制捜査の対象に位置づけています。

一方の革マル派は、東京都新宿区などに拠点を置きつつも、従来通りの徹底した秘密主義を貫いています。公然とした動画配信など派手なアピールは控え、基幹産業の労働組合や大学サークル、学習会への浸透を通じた勢力維持を重視。機関紙『解放』の発行や思想理論書の学習活動を軸に、水面下での組織維持を図っています。公安関係者の間では、表立った暴力事件が減少した現在でも、その巧妙な浸透力と防衛組織の結束力に対する警戒が緩められることはありません。

【革マル派中核派違い】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:中核派と革マル派の見た目やヘルメットの見分け方はありますか?
A1:デモや集会で着用されるヘルメットの色と文字で明確に見分けることができます。中核派は白いヘルメットに黒い文字で「中核」と書かれているのが基本です。一方、革マル派は白いヘルメットに赤い文字(または独特の書体)で「革マル」と表記されています。

Q2:なぜ同じ共産主義を目指す組織同士で殺し合い(内ゲバ)をしたのですか?
A2:双方が「自分たちこそが正統な共産主義革命の指導部であり、相手は革命を妨害するスパイや反革命勢力である」と絶対視したためです。特に中核派の指導者暗殺や報復の応酬が重なり、相手組織の壊滅そのものが自己目的化してしまった歴史的背景があります。

Q3:2026年現在、一般市民が彼らの抗争に巻き込まれる危険はありますか?
A3:かつてのような白昼の激しい物理的襲撃や駅構内での集団乱闘といった危険性は極めて低くなっています。ただし、両派ともに治安当局から監視対象に指定されており、大学キャンパスでの偽装サークル勧誘やデモ現場でのトラブルなどには引き続き注意が必要です。

まとめ:歴史の分岐点から現代の社会運動を読み解く

中核派と革マル派の相違点は、単なる名称や指導者の違いにとどまらず、「武力行使と大衆扇動による直接対決」を選んだ中核派と、「組織の温存と思想学習による長期浸透」を選んだ革マル派という、運動論の決定的な分岐にありました。そしてその対立が先鋭化した結果、凄惨な内ゲバという取り返しのつかない悲劇を生むことになったのです。

2026年現代において、インターネット空間や日常の言論の中で新左翼の話題に触れる際は、彼らが掲げる現代風のスローガンだけでなく、過去にどのような分裂と流血の経緯を辿ってきたのかという客観的な歴史事実を冷静に見極める視点が大切です。

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白石 澪
デジタルマーケター 白石 澪
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アイドルグループと音楽シーンの取材を担当。公式サイトのスケジュール、リリース情報、 Billboard JAPAN などの公開チャートを照合してから記事を構成します。

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