大相撲の歴史において、数々の怪我や病気を乗り越えて不死鳥の如く蘇った力士といえば、第73代横綱・照ノ富士春雄の名が真っ先に挙がります。大関から序二段への陥落という前代未聞の苦境から驚異的な復活を果たし、土俵の頂点を極めたその軌跡は、多くの相撲ファンや人々に勇気を与え続けてきました。本記事では、モンゴル出身の若者が歩んだ波乱万丈の相撲人生の全貌から、2025年1月の引退までの真相、そして引退後に年寄・伊勢ヶ濱として歩み始めた新たなステージに至るまでを徹底的に解説します。
【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:大関から序二段への陥落と復活優勝を成し遂げた、第73代横綱・照ノ富士春雄の波乱万丈な相撲人生の軌跡。
- 要点2:度重なる大怪我や病気による長期休場を乗り越え、不屈の精神力で土俵に立ち続けた背景と真実。
- 要点3:2025年1月場所での引退、そして同年6月からの年寄・伊勢ヶ濱としての新たな指導者への歩み。
第73代横綱・照ノ富士春雄のプロフィールと基本情報

照ノ富士 春雄(てるのふじ はるお)は、1991年11月29日生まれ、モンゴル国ウランバートル市出身の元大相撲力士です。本名は杉野森 正山(すぎのもり せいざん)、日本国籍取得前の本名はガントルガ・ガンエルデネでした。身長192cm、体重176kgという圧倒的な体格を誇り、伊勢ヶ濱部屋(入門時は間垣部屋)に所属していました。2021年8月4日に日本国籍を取得し、同年9月場所から第73代横綱として土俵を牽引しました。
幼少期から歌や踊りが好きで目立ちたがり屋な一面を持ち、演劇発表会で主役を務めるなど社交的な性格だったことが知られています。2018年2月に結婚し、2022年11月には第1子となる長男が誕生。モンゴル帝国の初代皇帝チンギスハンの本名にちなみ、照務甚(てむじん)と命名されたことも大きな話題となりました。公私ともに支えを得ながら、相撲道に全身全霊を傾けてきた歴史があります。
大関から序二段への陥落、そして前人未到の「復活劇」の真相
照ノ富士の相撲人生最大の特徴は、一度手に入れた栄光からどん底へと落ち、再び這い上がった「不死鳥」としての生き様です。新大関昇進や初優勝を果たすなど順風満帆に見えたキャリアでしたが、両ひざの大きな怪我や内臓疾患などに見舞われ、番付を急降下させていきました。ついに幕下から序二段まで陥落するという、大関経験者としては前代未聞の事態に直面します。
周囲からは「もう引退すべきだ」「復帰は不可能」という声も囁かれる中、本人は現役続行を決意。序二段の土俵で泥まみれになりながらも、一歩ずつ白星を重ねていきました。引退会見の際、思い出の取組として関取昇進前の若手時代ではなく、序二段で土俵復帰した平成31年春場所初日の若野口戦を挙げたのは非常に象徴的です。この時期の経験を「相撲人生を2回楽しんだ」と表現し、苦難を前向きに捉え直す強靭な精神力こそが、後の横綱昇進への原動力となりました。
奇跡の復活優勝から相撲人生のクライマックスへ
序二段から再び大関へ復帰し、さらに第73代横綱へと登り詰めた照ノ富士ですが、横綱昇進後も怪我との戦いが続きました。昭和以降15例目となる3場所以上連続全休を経験するなど、満身創痍の状態で土俵に上がり続けました。しかし、復帰場所となった場所では驚異的な集中力を発揮し、中日勝ち越し、そして千秋楽を待たずに8度目の優勝を飾るなど、歴史に残る数々の復活劇を成し遂げました。
優勝インタビューでは「本当に10月に手術してから1日1日を無駄に過ごしていないな、過ごしたくないなという思いでやってきました」と語り、日々のリハビリと稽古に対する妥協なき姿勢を明かしています。また、長男の誕生が励みになったかという問いに対しても、「子供が生まれたからもっと頑張れるなら…その前から頑張るべき」と語り、自身のプロとしての誇りと責任感を貫き通しました。
照ノ富士春雄の主な経歴・軌跡一覧表
| 時期・年 | 主な出来事・ステータス | 備考・主な実績 |
|---|---|---|
| 1991年11月 | モンゴル・ウランバートル市に生まれる | 本名:ガントルガ・ガンエルデネ |
| 2011年〜 | 初土俵(間垣部屋、のちに伊勢ヶ濱部屋) | 頭角を現し、急速に番付を上げる |
| 2015年夏場所 | 大関昇進 | 若くして大関の地位に就く |
| 2017年〜2018年 | 怪我・病気による度重なる休場と番付降下 | 大関から幕下、そして序二段まで陥落 |
| 2019年春場所 | 序二段からの土俵復帰 | 「相撲人生を2回楽しんだ」原点となる場所 |
| 2021年8月 | 日本国籍取得 | 本名が杉野森正山となる |
| 2021年9月場所 | 第73代横綱昇進 | 大関陥落からの横綱昇進は史上初 |
| 2025年1月場所 | 現役引退 | 「これ以上の気持ちと体で土俵に立つべきじゃない」と決断 |
| 2025年6月〜 | 年寄・伊勢ヶ濱を襲名 | 伊勢ヶ濱部屋の親方として後進の指導を開始 |
2025年1月の引退と、年寄・伊勢ヶ濱としての新たな歩み
満身創痍の体で横綱の責任を果たし続けた照ノ富士は、2025年1月場所を最後に現役引退を表明しました。引退会見では「これ以上の気持ちと体で土俵に立つべきじゃない」と率直な限界を吐露し、師匠の伊勢ヶ濱親方からも「横綱になったこと自体が奇跡に近い。精神力は誰よりもある」と最大級の賛辞が送られました。
同年2月31日には両国国技館で引退相撲が盛大に開催され、最後の横綱土俵入りでは長男とともに土俵に上がり、露払いに大の里、太刀持ちに豊昇龍の両現役横綱を従えるという豪華な顔ぶれが実現しました。断髪式には約330人がはさみを入れ、入門時の師匠が止め鋏を入れるなど、感動的な門出となりました。同年6月からは年寄・伊勢ヶ濱を襲名し、自身の経験と精神力を次世代の力士たちに伝える指導者の道を歩み始めています。「自分に嘘をつかない、自分を曲げない力士を育てたい」という言葉通り、育成者としての手腕にも大きな期待が寄せられています。
【照ノ富士春雄】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:照ノ富士が横綱に昇進したのはいつですか?
A1:2021年9月場所から第73代横綱として土俵に上がりました。大関から序二段まで陥落した後に横綱へと返り咲いたのは、大相撲史上初の快挙です。
Q2:現役引退の理由はどのようなものですか?
A2:両ひざの変形性関節症や左肋軟骨の損傷など、長年にわたる度重なる怪我と病気が理由です。本人も引退会見で「これ以上の気持ちと体で土俵に立つべきじゃない」と語っています。
Q3:引退後の活動はどうなっていますか?
A3:2025年6月より年寄・伊勢ヶ濱を襲名し、伊勢ヶ濱部屋の親方として後進の指導に当たっています。
まとめ:波乱万丈の相撲人生が残したレガシーと指導者としての未来
第73代横綱・照ノ富士春雄の歩みは、単なる勝ち負けや記録を超えた、人間の不屈の精神力を体現するものでした。大関から序二段への転落という絶望的な状況から這い上がり、再び頂点に立った事実は、日本相撲史に永遠に刻まれるレガシーです。怪我や痛みに耐えながらも「横綱の責任感」を全うし続けたその姿勢は、ファンだけでなく多くのアスリートやビジネスパーソンにも深い感動を与えてきました。現在は年寄・伊勢ヶ濱として、自らの哲学を受け継ぐ強い力士の育成に情熱を注いでおり、今後の部屋の発展と指導者としての手腕にますます注目が集まっています。